My Story/自らの経験から
Grade10(日本でいう高校1年生)になった日、初めての授業は “Business”。
初回の授業で、ペアを決め「ミクロ経済」に関する発表を行う。
「そもそも、ビジネスってなに?経済って何?」
そう思っていた私をよそに、私のペアになったコロンビア出身のAlina は、ミクロ経済学のグラフをすんなり理解していた。
Alina が、こちらに向かって話していた。スペイン語なまりの英語、早口で何を言っているかわからない。
“What do you think?”
そう聞かれた。そもそも何もわからない「経済」について「どう思う?」と聞かれても……。
「意見」のかけらも無かった私。
ため息をついたAlina。発表の言葉を一字一句考えてくれて、「あなたはこれを言って」と指定された。
その文章を、クラスのみんなの前で、ただひたすら読んだ。
「私、これからどうしたらいいんだろう。」
当たり前のように発表するクラスメイトに衝撃を受けると同時に、不安と焦りが募った日。
私の人生で、決して忘れられない日--。
高校でのカナダ留学で目の当たりにしたのは、様々な国から来た、自分と同じ年の子達が当たり前のように意見を持ち、堂々とみんなの前で表現している姿。とてもカッコいい!と思った。
日本では何の変哲もない、ただの女子高生。進学校に通っているわけでもない、神童でも何でもない私が、ここでは「日本代表」となった。私の発言が「日本」のイメージをつくる。とても重大な役目だった。
日本では「右に同じ」で通じていた。でもここでは「私はこう思う、なぜなら……」と発言しなければ、存在すら認めてもらえなかった。
ここでの経験から、世界の人々と交流するとき、大切にすべきことがわかった。
自分は「何」を思い「どこ」で「誰」に「いつ」「どう」伝えるか。「なぜ」それを伝えたいのか。
日本流の「察する」コミュニケーションだけでなく、「伝える」コミュニケーションを身に着け、どこにいても、誰といても「自分」と「みんな」すべてを大切にできる人をめざして。
英語「を」学ぶのではなく、英語「で」学ぶ
英語を目的にしてはいけません。英語は言語です。
言語は手段であり、大切なのは「何」を伝えるか、です。
言語を「目的」として教えている場所が、まだまだ多いと感じます。
知識としての言語、言葉自体の意味は、インターネットで調べればすぐにわかります。
しかし、実際に英語を使って様々なコミュニケーションをとるためには
その言語の背景ーーつまり文化、価値観、思考のプロセスを知ることが必要不可欠です。
私たちが当たり前と思っている日本式の思考癖があるように、
欧米式の思考パターンを知ることで初めて英語を理解でき、話せるようになるのです。
なぜ「英語」なのか
英語を実用的なレベルで使うことができる人は、世界で約15 億人いると言われています。
アジアでも、国策として英語教育が重視され「英語はできて当たり前」という感覚が現実のものとなっています。
英語は教育現場だけでなく、ビジネス界での共通語でもあります。
言うまでもなく、英語は多文化共生のために最低限必要とされる手段の一つです。
様々な人と関わり、様々な情報に触れ、自らの世界を広げる手段の一つ、それが「英語」です。
すべての分野に通じる「学び方」を習得
「学ぶ」とは、「ある力を身につけ、それを活用し、世界を広げること」。
QUILT では英語学習だけにとどまらず、様々な分野に通じる「学び」を目指します。
まずは「もの」「こと」を見る基準、考える基準を学びます。この基準は絶対ではありません。
大事なことは、どんな場面でも偏った見方をしないこと。したがって、様々な基準--日本式、欧米式、アジア式など--を知り、体得することが大事です。
たとえばビジネスの世界ではこれを「フレームワーク」と呼びます。
QUILT では、将来にわたって役に立つ様々な「フレームワーク」も学びます。
この基準である「フレームワーク」を、目の前に起きた事象に、また自分が課題と向き合った時に、それを活用できる人はどれくらいいるでしょうか?
手段を知っているだけで使えない。手段を使うことが「目的」にすりかわっている人や場面が、大人の世界にもたくさんあります。
手段を目的として終わらせず、子どものうちから活用・応用できるようになる。
それがQUILT の目指す姿です。
「教える」のではなく「ともに学ぶ」
学校、塾、家族、社会において、大人と子どもの関係性は、どうしても上下の関係になってしまいがちです。
一方的に教えるだけではなく、子どもから大人に学んだことをレクチャーする。
自分自身の力で考え、わからないときは大人と子どもで一緒に考える。
年齢に関係なく様々な角度から「学び」を実践し、上下の関係を超えた、対等な人間同士のコミュニケーションを目指します。
対等に意見が言い合える関係性ーー
「間違えていること」「おかしいと思うこと」には、どちらからも異議を唱える関係性。精神的な議論ができる関係性をモットーとしています。